ホームステイに興味を持っていた。外国文化に触れるには一番いいと思った。早速バンクーバー新報と言う
日本人向けの新聞で調べ、何件かに電話をかけた。しかし、広告主が日本人だったり、もう既に空きが無かったり。
そんな中、何とか1件のホームステイ先を見つける事ができた。英語が良くわからなかったがなんとか話がまとま
り、翌日からさっそくステイする事になった。それはカナダに来て3日目の事だった。
ホストファミリーはイラン人だった。すごく人のよさそうな人だった。
食事はあまり豪華ではなく、イランと言う感じもしなかった。
初めは彼らをカナディアンだと思っていたが、後にイラン人と知った。
同時にカナダはどういった国かを教えてくれた。
色んな国の人々が安住を求め移り住んで来たんだと、、。
【ホストファミリー】
ファミリーで映画を見に行った。オレ、ファザー、マザー、ルームメイトのトルコ人。本物の映画だ。
果たして楽しむ事ができるだろうか。久々の映画に少しワクワクしていた。とても悲しい映画だった。会話は分からなかったが、内容
は十分に理解できた。横のトルコ人は大声を出して泣いていた。
会場の至るところからすすり泣く声が聞こえたいた。映画が終わり
外へ出ると、知らない人同士が握手をし語りあっていた。
すごく新鮮な光景だった。「サンキュー、ナイスムービー」。
我々は車に乗り込み、家路へ向かう。少しずつ映画のシーンが
蘇ってくる。明日には忘れている事を祈ろう。
Are You Fine! 家に戻るといつも真っ先に耳に入ってくる言葉。だけどもそんなホストファミリーとももうすぐお別れ。 いろんな理由でホームステイを辞める事にした。 わずか1ヶ月で家を出ると告げた時、ホストは何故と言う顔をしていた。 短期で去る人間はあまりいないのだろう。家を出るのはホンの気まぐれだった。 何か悪い事をした気分になっていた。
町のいたるところでホットドッグを売っている。そして至る所には物乞いがいている。日本で流行りの ストーリーとミュージシャンも勿論いている。だが、こちらでは物乞いとストリートミュージシャンの区 別がつかないのだ。街を歩けば流行のコーヒーを片手にホットドッグをむさぼる 人をよく見かける。私もそれにハマッた人間の一人だ。ホットドッグは路上で買うもんだ、そして歩きながら食べるものだと 言う観念をこの街で植え付けられた。
やはり今日も雨だ。この街に雨は似合わない。だが、その割には良く雨が降るのだ。しかし、だからこそ 晴れの日が一段と輝きを増す。この街は実は楽しませ方を知っているのかもしれない。そしてそんな雨の日が 続けば、自然と思いが沈む、、、。冬のバンクーバーは雨の日が多い。一度降り出すともう 止まらない。そんな日は決まってコーヒーショップへ行った。 物思いに耽る。雨の音が聞こえる。悪い事ばかり思い出す。 鬱な気分とは裏腹に何故か雨の音が好きだった。バンクー バーの雨は不思議な力を持っているのかもしれない。
バンクーバーがどういう街かというと綺麗な街だ。世界で住み易い都市No1と言われる所以が分かった気がする。そして多くの人がのんびり暮らしているイメージだ。街の至る所にコーヒーショップがある。 これがこの街、この国の性格を象徴していると言っても過言ではないだろう。この街は海に面している。 イングリッシュベイからの眺めは最高だ。ここで一日中ボケッと過ごした事もあった。 ガスタウンのスチームクロックはバンクーバーの観光名所の一つである。 定刻になると蒸気が噴出すのだ。この地区はヨーロッパ調のエレガント な町並みが続く。バンクーバーで一番歴史のある街だ。
朝目が覚めた。寝心地の悪いホステルのベッド。どっかから拾ってきた剥き出しのスポンジにただシーツを 掛けているだけ。オレにうってつけのベッドをホステルのオーナーは知っている。 一部屋に4人が泊まっていた。その中に職を求め遥か東の街からやって来た カナディアンがいた。アフリカで育ちカナダに移民して来たと言う。まくら元 にはマリア様を置いていた。そしていつも聖書を読んでいた。神様はどこへいる のか尋ねたら、その人は自分の胸を指した。いつもやり切れない顔でどこかを見 つめていた。
宿で地図をひろげてみた。そこで妙な事にきずく。カナダの主要な街は全てアメリカとの国境近くに集中している。 カナダ北部の気候は生活には向いていないのだろう。北米の油田地帯アラスカはカナダ北部に位置するが、アメリカの 領土になっている。カナダはまるでパンの耳みたいだ。地図を眺めていると、大陸のいい所は偶然にもアメリカが占め ているように感じた。 同じホステルに泊まった老人が言っていた。カナダでは貧富の差が大き すぎる。そこそこの会社に勤めている人間や公務をしている人間と、そ の下の人間の差が開きすぎていると言う。その老人曰く、カナダはも っと教育に金をかけるべきだ。金がないのなら税金を上げてもいい。 教育の為に金を使うならいくらでも税金を払う。老人は訴えるかの様に語っていた。